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2013年8月15日 (木)

弁天町=親父の人生のすべて

Img_1991 先日から書かせていただいておりますが、私のお盆休み初日・8月13日は弁天埠頭周辺に行ってきました。で、その懐かしの埠頭に行ったあと、その界隈をうろうろ・・・。実はうちの父親はこの辺で鉄工所(正確にはネジ切り所)をやっておりました。これもまた正確に書きますと、「やっておりました」と言いますか、父親の弟さんが代表。うちの父はそれを手伝っておりました。その場所の現在をちょっと見てみたいなあと思って、行ってみました。私自身、それほど行ったことはないのですが、なんとなくわかるだろうと思い、探してみましたよ

 

 おととしの春に父親が亡くなったころまでは、工場は営業していたのですが、その後閉鎖。現在どうなっているかは知らないのですが、なんとなくその面影はあるだろうとおもってうろうろしたのですが、なかなか分からず。下町の零細工場や民家がこまごまと建っているところですからね~、結局、細かい場所まではみつけられないまま帰ってきました

 でもね、探しながら少し、父親のことを考えました。家のこともあまりせず、親らしいこともほとんどせず、社会ともうまく関わることができず、私はそんな父親のことをあまり認めていなかったのですが、今になって思えばけっこう大変な仕事を文句も言わずやり続けて、私と姉を大学まで行かせてくれて・・・。本当はもうそれだけで、かなり「ありがたかった」のではないかな、などと考えたりしました。まあ、うちの家族をしっかり支えたのは、うちの母親の功績が「大」だとは思っておりますが。

 でも、これまで父親のことをまったく評価していなかった私ではありますが、そんな父親にも「評価すべき点はあるのかも」と思えるようになってきたのは、いいことなのかなと、ちょっと思っております。

 弁天町。父親の人生にとってはかなり大切な場所だったんでしょうねえ。故郷(それは子どもの頃の思い出なども含む)につながる場所であり、仕事以外なにもすることがなかった人生の、そのほとんどを過ごした場所だったのですから。

 晩年、ボケてしまった父親が、この弁天町をうろうろしていたのも、なにかしらわかるような気がします。そこの港警察まで迎えに行く私は大変でしたが(苦笑)。

 

 写真は、父親の工場があったあたりの場所です。今でも家族経営の工場があったり家があったりする向こうに、近代的なビルが建っております。

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コメント

自分が親になってわかることってありますよね・・・
お父様がボケても弁天町をウロウロしていたというのが
何かせつないですね

きーさんへ

 いやほんと、そうなんですよ。弁天町で保護された時、どうやって弁天町まで行ったのかという謎は残りましたが(なにせ、お金は持たせていませんでしたから。ちなみに私の実家からは電車を乗り継いで1時間半ほどかかります。)、なぜ弁天町にいたかは、すぐにわかりました。「仕事、いかな~」と思ったんでしょうね。私もその後も何度も「おやじ、もう仕事いかんでええねんで」って言いましたから。切ないお話ですわ

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